社会OS ── 人を消さないDXのための思考実験(1)

第1回|DXしても、なぜ息苦しいのか
――問題は技術ではなく「価値の測り方」だった

DX、AI、効率化。
私たちは今、かつてない速度で「進んでいる」はずです。

それなのに、年の変わり目になると、
多くの現場で同じ言葉が聞こえてきます。

「楽にならない」
「余裕が戻らない」
「なぜか、息苦しい」

これは怠けでも、抵抗でもありません。
むしろ真逆で、ちゃんと応え続けてきた人たちの感覚です。

では、何が噛み合っていないのでしょうか。
本当に足りないのは、技術でしょうか。
それとも、私たちが“測り続けてきたもの”そのものなのでしょうか。


技術は進化しているのに、社会は楽になっていない

環境問題、経済格差、孤立、燃え尽き、AIへの不安。
一見、別々に見える問題には、共通する感触があります。

「意味はあるはずなのに、評価されない」
「必要なのに、続けられない」

ここで一度、問いを立て直したいのです。
問題は、本当に努力や意識の不足なのでしょうか。


社会は「価値の測り方」でできている

私たちは長い間、価値を測る中心に
貨幣を据えてきました。

売上、利益、効率。
それらは必要です。否定されるべきではありません。

しかし、貨幣はいつの間にか
「交換の道具」から
価値そのものを決める基準へと転位しました。


見えなくなった価値たち

現場には、確かに存在しているのに
ほとんど測られていない行為があります。

・最後まで話を聞く
・関係が壊れないように間に入る
・続けられる形を整える
・問題が起きないように先回りする

価値がないのではありません。
測られていないだけです。


DXが息苦しくなる理由

DXやAIが悪いのではありません。
社会が「反応する価値」を数値に限定している限り、
測れない行為は後回しにされ続けます。

そして皮肉なことに、
後回しにされた行為こそが、
組織や社会を支えていた部分だったりします。


価値は消費されるものなのか

価値は、測られ、比較され、消費されるもの。
本当にそうでしょうか。

多くの行為は、
消えるどころか 残ってしまう

関係が保たれた。
場が壊れなかった。
続けられる空気が残った。

これらは数値にならなくても、
確かに 痕跡 として残ります。


価値を「痕跡」として扱う

ここで提案したいのは、
新しい制度ではありません。

価値を
数値ではなく、出来事として残す
という発想です。

[いつ/どこで]何があった

・[6/15・職場]最後まで話を聞いた
・[6/18・会議]対立が大きくならずに終わった

評価も理由も書かない。
1行で十分です。


なぜ1行なのか

説明しすぎた瞬間に、
価値は評価へ変わってしまうからです。

意味は、
読み返したとき
誰かと共有したとき
時間が経ったとき
自然に立ち上がります。

これはDX的に言えば、
スコアリングではなくロギングの発想です。


技術の役割は変わる

DXは、効率化のためだけにあるのではありません。
痕跡を失わせないための補助にもなり得ます。

特別な仕組みは要りません。
ノートでも、紙でも、シンプルなフォームでもいい。

重要なのは、「残る」ことです。


正解を決めないという選択

この構想は、
正解を一つに定めるものではありません。

価値を決める権限を、
中央から
現場や「場」へ返す。

人が何かを選ぶとき、
「それはいくらになるか」より先に、
「それは何を残すか」を考える。

その判断が、
日常に少しずつ増えていくこと。
それが目指す姿です。


次回予告

次回は、
「評価されない価値は、なぜ社会から消えていくのか」
という構造を掘り下げます。


読後のあなたへ...

あなたが最近した選択は、
何を残したでしょうか。

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